Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/0/chicappa.jp-office-reliance/web/blog1/class/View.php on line 25

Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/0/chicappa.jp-office-reliance/web/blog1/class/View.php on line 30

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/users/0/chicappa.jp-office-reliance/web/blog1/class/View.php:25) in /home/users/0/chicappa.jp-office-reliance/web/blog1/class/View.php on line 81
リライアンス::ゴーギャン展。

ゴーギャン展。

国立近代美術館に「ゴーギャン展」を見に行ってきました。もう終わってしまうゴーギャン展。ボストン美術館の門外不出のコレクション、ゴーギャン作品の最高傑作との呼び名の高い名作、実に哲学的な響きの題名の「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が初来日!。とっても楽しみにしていました。
公式ホームページ http://gauguin2009.jp/

DSCN6787.JPG

 見に行ったのは7月なのに、いつものことではありますが、夏休みの宿題のようなていたらく。というのも、期待が大きすぎたせいか、世間の評判にも拘わらず、それほど良いと思えなかったからなのです。そして、どうして良いと思えなかったのか、私は変なのか、ブログに何を書いたらいいのか とずっと考えていたからなのです。

 
 株式仲買人から画家へ転身したゴーギャン。新しい芸術性を求めて、家族を置いて、楽園のタヒチへ旅立ったゴーギャン。小説になるほどエピソードには事欠かない人物であります。
 例えば、展示されていた「純血の喪失」、大地に白い肌のヌードの女性が横たわっていて、ずるそうな狐が寄り添っています。
 ゴーギャンはこの女性を、妊娠させたまま、タヒチに行ってしまったそうです。この狐はゴーギャンですね。それはそれで置いとくとして、そのことを絵に描いて、しかもそれを売りますか?普通の神経では考えられません。この画像は弐代目青い日記帳さんをご覧下さい。
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1805 

 そしてそもそもタヒチに行ったのは、文明社会から逃れて、魂の浄化を求めた。といったきれい事ではなく、心機一転巻き直しの部分が大きかったわけで、あくまでも自分自身は、フランス政府のお墨付き有りの文明人として現地人を見ており、都合の良い部分だけを取り入れようと計算しても、難しいでしょう。
だから最初の頃のタヒチ時代の絵を見ても、やはりこれは売れなかったと思いましたし、版画連作の「ノア・ノア」も独りよがりな感じがします。

 先日の新日曜美術館で楽園をテーマにした写真を撮っている写真家さんがおっしゃっていたように、タヒチなのに、何故美しい青い海の絵を描かなかったのか?そして色彩感覚はまったくオリジナルなのに、何故全部不透明絵の具で、彩度が低いのか?

芸術家に人間性を求めるのはお門違いであり、その人がどんな人間であろうと、芸術家はその作品でもって判断すれば事足りるはずなのですが、どうも私はゴーギャンの絵に「邪」なるものを感じてしまうのです。
DSCN6783.JPG 光輪のある自画像→キリストと言うより悪魔のよう

 敢えて自分の暗黒面を取り出して絵のテーマとする画家さんもいますし、また、ジャンルは違いますが詩人の中原中也が死んだ時、生前彼にさんざん困らされていた友人達は「やっとこれで純粋に中原中也の詩を鑑賞することができる」と喜んだそうですが、こちらは、本人の行いと、芸術が分離している場合。

 ゴーギャンはこれとは違います。
画面に「邪」なるものがにじみ出ているので、純粋に絵画として楽しめないのではないのではないかと、無理くり考えました。それはゴーギャンが体裁を取り繕わないから、またその毒もまたゴーギャンなのだと言われればそれまで、つまるところ好き嫌いの問題に終結していくわけですが。
 結論として、ゴーキャンの絵はお好きですか?という問いかけは即ち、ゴーギャンの人生の全てを含めて、彼にシンパシーを感じますか?と言うことなのではないかと思います。

 一度意気揚々とパリに帰ったが全く評価されず、再度タヒチに戻ったけれど、かつてのタヒチの姿はそこになく、愛人には去られ、病気になり、経済的にも困窮し、隣人達と訴訟沙汰を起こし、現地と同化したいという思いと、しかしなから文明人から逃れられない自分自身であることからくるジレンマ、何よりも自分は認められるべきだという強い自意識があり、そのグジャグジャの中にいる時、最愛の娘の死を知り、さすがに彼も苦しみました。そして遺書として、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が描かれたそうです。

 ゴーキャンの絵は、すべては彼の生き方に原因のある「グジャグジャ」があり、聖と俗・正と邪のせめぎ合いがあったからこそ、生まれたものであり、それはもはや単に絵だけにとどまらない、「ゴーギャン」という総合芸術になっているのだと思います。
兎にも角にも彼はやり通しました。少なくともあの時代タヒチにまで行って、誰にも描けない世界を生み出したのはゴーギャンだだ一人です。

 その後のゴーギャンは「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が売れたことを知り、経済的にも立ち直り、元気を取り戻しました。
最晩年の絵は、線もひょろひょろしてしまっているけれど、透明感が増していて、ゴーギャンもようやく心の平安を得るようになったのかと、少しほっとしたような、少し残念なような気持ちで会場を後にしました。

 タヒチに行かなかったら、果たしてゴーギャンはどんな絵を描いたのでしょう…。
ゴーギャンの傑作の数々の画像はいづつやさんブログ7/10-7/12をご覧下さい。
http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2009/07/index.html

DSCN6785.JPG こんな絵も描いていたゴーギャン
Calendar
<< April 2024 >>
SunMonTueWedThuFriSat
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930
search this site.
archives
others
admin