板橋美術館に「英一蝶」展を見に行ってきました。10月4日の新日曜美術館を見て心惹かれ、即出かけました。「英一蝶」の絵は、今まで国立博物館で時に目にするくらいだったので、今回まとめて見られてとても良かったです。
良いとされる絵でも、展覧会で何枚も見てくると、頭がどんよりしてくることがあるものですが、「英一蝶」は、1枚1枚が新鮮なので全く退屈しませんでした。
何故かと考えるに、まず狩野派に師事したことが大きいと思います。
建物のデッサンは狂ってないし、どんな絵も全て上手で破綻がない。探幽のような墨の濃淡の使い方がこなれていて、木の描き方が自然。花鳥画も端正で、なんと仏画まで描ける。粉本学習おそるべし、いやでも基本の勉強は本当に大切なのですね。とても乱暴なのは承知で言うと、狩野派は芸大出、浮世絵師は漫画家に対比できるのでは。
写真が下手ですみません。本物は風情があります。
次に、「英一蝶」は絵師であると共に幇間であったことです。
ここで「英一蝶」の人となりを紹介すると、狩野派を離れ独自の境地を切り開こうとした彼は、絵の道に邁進するかと思いきや、吉原の幇間になったのでした。しかも幇間として活躍しすぎたためか、幕府の怒りを買い三宅島へ流罪になってしまいます。
当時の遠島は勝手に自給自足せよ、とのもので下手すると餓死が待っている環境の中、おそらくは一生帰ることはできないであろうかと思われましたが、元来生活力があるのと、将軍代替の大赦という奇跡が起き、12年ぶりに江戸に戻ることができたのでした。しかも現地で作った子供まで連れて。時に1709年、彼は58歳となっていました。
そして還暦間近の彼は今度こそ絵の道に邁進するかと思いきや、またしても吉原の幇間として復活したのでした。それも高番付の幇間に出世しました。ここまでくると単に絵師の道楽芸ではありません。
聞くところによると幇間の仕事は、お客様の気をそらさず、気持ちよくしていていただこう、という気配りがなんといっても一番大切とのこと。幇間の仕事が心底好きで、向いていたのでしょう。(奈良屋茂左衛門、紀伊国屋文左衛門がご贔屓筋とか)ちなみに享年73歳。
こんな楽しい世界がいっぱい
この資質、絵を見る人に喜んでもらおうと心を尽くしていることが、「英一蝶」の絵を特別なものにしているのではないかと思いました。サービス精神が旺盛と言った軽いものではなく、情が込められている絵なのだと思います。
また、被写体が動き、英一蝶も心が動いたものを描いている絵が群を抜いている気がします。人間がみんな生き生きとして楽しそうです。私も「スチャラカチャン」と、「四季日待図巻」の中に入れたらどんなにか楽しいでしょう。
加えて、三宅島で書かれた、「吉原風俗図鑑」には、何年も遠く離れた人が書いたとは思えない、実在感のある、具体的なワンダーランドが描かれています。「英一蝶」はフォトグラフィックメモリーも持っていたのかしら。
吉原へ行くには、顔を隠して
そもそも何故今「英一蝶」なのか。1709年から下って御赦免300年記念だからということなのだそうで、心憎いぞ板橋美術館。
さて、こんなめったにない人生を送った「英一蝶」、NHKでドラマ化してもらえませんでしょうか。尾形光琳も同時代人。登場人物には事欠きません。「英一蝶」は誰にしましょう。1999年の大河ドラマ「元禄繚乱」では片岡鶴太郎が英一蝶を演じておりましたが、映画「憑神」でお大尽風の貧乏神を演じた西田敏行が思い浮かびます。
以前にNHKが伊藤若沖を紹介する番組を作った時、中にドラマ仕立ての部分があり、その時は岸部一徳が伊藤若沖を演じており、なかなか良い番組でありました。
今年は御赦免300年記念というめでたい年でありますし、できれば「歴史秘話ヒストリア」ではなく、お正月、毎年1月2日頃にやるドラマあたりで、是非是非お願いいたします。
追記 「英一蝶」は、既に終了しています。が、板橋美術館の男子トイレにはマルセル・デュシャンの「泉」が使用されています。
味なことする板橋美術館
美しい写真は、いつづやさん 10/14の http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/
二代目青い日記帳さんhttp://bluediary2.jugem.jp/?eid=1877
をご覧下さい。