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リライアンス

黄金の都 シカン

 国立科学博物館に「黄金の都 シカン」特別展を見に行ってきました。
実は「1日ブログ記者」エントリーに応募したところ認定していただきました。「1日ブログ記者」は会場撮影OKなので、入口で渡された「1日ブログ記者PASS」を、週番のように安全ピンで腕に付けて取材?です。
 シカン展オリジナルのクリアファイル、メモ、ペンのプレゼント付の無料鑑賞なので、かえって「ただ見はだめよ」のプレッシャーがかかります。
 「1日ブログ記者」エントリーは、弐代目青い日記帳さんから教えていただいたのです。展覧会の詳しい紹介はhttp://bluediary2.jugem.jp/?eid=1817
を是非ご覧になって下さい。

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                              いただいたプレゼントの品

 アンデス文明については、インカ帝国がスペイン人に滅ぼされたことを知っているくらいで、地理的にも、歴史的にもほとんど白紙状態だったのですが、今回勉強させていただきました。
 一番有名なインカ帝国は15世紀前半から16世紀前半に描けての100年にも満たない短命な文化のひとつに過ぎなく、ペルーには地上絵で有名なナスカをはじめとして、アンデス各地で様々な王国が興亡し、多様な地方文化が生まれました。
 その中でシカンは9世紀から1375年頃までペルー北海岸で繁栄した王国です。

 砂漠の中にそこだけ屹然としている、この崩れかけた山は何なのだろうと思っていたら、何とこれがシカン王国の「ロロ神殿」の現在姿であったとは。想像復元模型が隣にあっても、全く同一のものとは思えないほど崩壊しています。

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この周囲を日本人の島田泉教授(現南イリノイ大学教授)が30年にわたって発掘調査したところ王族の墓が発見され、その研究の成果が今回の展覧会の内容となっています。

 私が一番興味を持ったのは埋葬の方法です。日本、中国の墳墓だと、横穴式のように奥に広い空間ですが、シカンは縦に深いのです。縦坑の深さは十数メートルにも及び、墳墓の中は、数階建ての建物のように幾層にも積み重なっています。
 発掘はさぞ困難な作業ではなかったかと想像されます。
 その中央やや下に墓の主が首を下にして正座をした形で埋められており、その前に切られた頭が置かれていました。なんか怖いです

画像はhttp://www.tbs.co.jp/sicanten/tv/をご覧下さい。

 そして黄金大仮面をはじめとする、1.2トンにも及ぶ副葬品。

sican2.JPG その中で注目したのは、「トゥミ」と呼ばれる儀式用のナイフで、(現在でも鞄屋さんなどが使う、手に握って、革などを切る道具に似ています)これは「ケロ」と呼ばれる黄金のコップとセットになっています。この二つは、「トゥミ」で生け贄の喉をかき切って、「ケロ」でその血をうける為の道具なのだそうです。実際墳墓には女性の生け贄も多数埋まっていました。とても怖いです。 そんな道具をこれほどまでに洗練させて、どれほど大切な儀式が行われていたのでしょうか。文字を持たなかったアステカ文明。研究者にも、シカン文明の精神世界はまだまだ分からないことが多いようです。

 今回発掘の墳墓は、10~11世紀頃のものらしいのですが、副葬品が多彩であったことに興味を引かれました。
儀式用のミニチュア土器は縄文時代の三内丸山を思い起こさせるし、青いビーズは、吉野ヶ里遺跡で出た管玉のよう。日本では初期の古墳からも貝製品が多く出てきますが、同じようにいも貝、ウミギク貝がたくさん埋められていました。シカン遺跡周辺では採集できない交易品が、大切にされていたようです。今の人からすれば何故?と思いますが、舶来のブランド品、宝石のようなものだったのだと思います。
 黒色土器は古墳中期以降の須恵器に似ており、黄金大仮面を飾り、また部品としてまとめて発掘された金細工のピラピラは、藤ノ木古墳の埋葬者が履いていた靴の飾りのようです。ナイペと呼ばれる砒素銅で作った貨幣(丁銀に似ている)がまとまって発見されているということは、貨幣経済が機能していたことをうかがわせ、日本では13世紀以降の現象。
縄文から室町までの遺物を見るような不思議な感じでした。

sican5.JPG グッドデザイン賞は、エリートの人が使用したと思われる金製胸飾り。そのままTシャツにして、会場を出たところのショップで売っていて欲しかったくらいです。

 この「ロロ神殿」の発掘は、エルニーニョ現象による大洪水のため地下水位の上昇により、10年間発掘ができなかったそうです。
 色々なご苦労がありながら、世俗の欲でなく研究を続けられる方々には本当に頭が下がります。島田教授はじめ研究者の方々、これからもお体に気をつけて、シカン文明の謎を明らかにしていって下さい。

 最後に、フードコートで「インカコーラ」を飲んでみました。黄色い色の炭酸飲料です。プラスチックカップの中身はほとんど氷で、飲料は50cc位しかありませんでした。こういうイベントの場合、期待はしていませんでしたが、ペルーの缶飲料をそのまま売っていてくれた方が、いかばかりか良心的なのではなかったかと、残念でした。

 シカン展は10月12日までの展示です。


ゴーギャン展。

国立近代美術館に「ゴーギャン展」を見に行ってきました。もう終わってしまうゴーギャン展。ボストン美術館の門外不出のコレクション、ゴーギャン作品の最高傑作との呼び名の高い名作、実に哲学的な響きの題名の「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が初来日!。とっても楽しみにしていました。
公式ホームページ http://gauguin2009.jp/

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 見に行ったのは7月なのに、いつものことではありますが、夏休みの宿題のようなていたらく。というのも、期待が大きすぎたせいか、世間の評判にも拘わらず、それほど良いと思えなかったからなのです。そして、どうして良いと思えなかったのか、私は変なのか、ブログに何を書いたらいいのか とずっと考えていたからなのです。

 
 株式仲買人から画家へ転身したゴーギャン。新しい芸術性を求めて、家族を置いて、楽園のタヒチへ旅立ったゴーギャン。小説になるほどエピソードには事欠かない人物であります。
 例えば、展示されていた「純血の喪失」、大地に白い肌のヌードの女性が横たわっていて、ずるそうな狐が寄り添っています。
 ゴーギャンはこの女性を、妊娠させたまま、タヒチに行ってしまったそうです。この狐はゴーギャンですね。それはそれで置いとくとして、そのことを絵に描いて、しかもそれを売りますか?普通の神経では考えられません。この画像は弐代目青い日記帳さんをご覧下さい。
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1805 

 そしてそもそもタヒチに行ったのは、文明社会から逃れて、魂の浄化を求めた。といったきれい事ではなく、心機一転巻き直しの部分が大きかったわけで、あくまでも自分自身は、フランス政府のお墨付き有りの文明人として現地人を見ており、都合の良い部分だけを取り入れようと計算しても、難しいでしょう。
だから最初の頃のタヒチ時代の絵を見ても、やはりこれは売れなかったと思いましたし、版画連作の「ノア・ノア」も独りよがりな感じがします。

 先日の新日曜美術館で楽園をテーマにした写真を撮っている写真家さんがおっしゃっていたように、タヒチなのに、何故美しい青い海の絵を描かなかったのか?そして色彩感覚はまったくオリジナルなのに、何故全部不透明絵の具で、彩度が低いのか?

芸術家に人間性を求めるのはお門違いであり、その人がどんな人間であろうと、芸術家はその作品でもって判断すれば事足りるはずなのですが、どうも私はゴーギャンの絵に「邪」なるものを感じてしまうのです。
DSCN6783.JPG 光輪のある自画像→キリストと言うより悪魔のよう

 敢えて自分の暗黒面を取り出して絵のテーマとする画家さんもいますし、また、ジャンルは違いますが詩人の中原中也が死んだ時、生前彼にさんざん困らされていた友人達は「やっとこれで純粋に中原中也の詩を鑑賞することができる」と喜んだそうですが、こちらは、本人の行いと、芸術が分離している場合。

 ゴーギャンはこれとは違います。
画面に「邪」なるものがにじみ出ているので、純粋に絵画として楽しめないのではないのではないかと、無理くり考えました。それはゴーギャンが体裁を取り繕わないから、またその毒もまたゴーギャンなのだと言われればそれまで、つまるところ好き嫌いの問題に終結していくわけですが。
 結論として、ゴーキャンの絵はお好きですか?という問いかけは即ち、ゴーギャンの人生の全てを含めて、彼にシンパシーを感じますか?と言うことなのではないかと思います。

 一度意気揚々とパリに帰ったが全く評価されず、再度タヒチに戻ったけれど、かつてのタヒチの姿はそこになく、愛人には去られ、病気になり、経済的にも困窮し、隣人達と訴訟沙汰を起こし、現地と同化したいという思いと、しかしなから文明人から逃れられない自分自身であることからくるジレンマ、何よりも自分は認められるべきだという強い自意識があり、そのグジャグジャの中にいる時、最愛の娘の死を知り、さすがに彼も苦しみました。そして遺書として、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が描かれたそうです。

 ゴーキャンの絵は、すべては彼の生き方に原因のある「グジャグジャ」があり、聖と俗・正と邪のせめぎ合いがあったからこそ、生まれたものであり、それはもはや単に絵だけにとどまらない、「ゴーギャン」という総合芸術になっているのだと思います。
兎にも角にも彼はやり通しました。少なくともあの時代タヒチにまで行って、誰にも描けない世界を生み出したのはゴーギャンだだ一人です。

 その後のゴーギャンは「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が売れたことを知り、経済的にも立ち直り、元気を取り戻しました。
最晩年の絵は、線もひょろひょろしてしまっているけれど、透明感が増していて、ゴーギャンもようやく心の平安を得るようになったのかと、少しほっとしたような、少し残念なような気持ちで会場を後にしました。

 タヒチに行かなかったら、果たしてゴーギャンはどんな絵を描いたのでしょう…。
ゴーギャンの傑作の数々の画像はいづつやさんブログ7/10-7/12をご覧下さい。
http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2009/07/index.html

DSCN6785.JPG こんな絵も描いていたゴーギャン

インターンシップを通じての感想 その2

その1に続いてのまとめです。

 二週間のインターンシップを体験して、法学部での講義に出てくる理論としての法律と社会での実務としての法律の違いや、差を感じることができたと思います。
 講義での理論の前提やその要素となっている事項はその講義では軽く触れられるだけですが、実務ではより重要なもの、中心となるものであることを感じました。

 例えば、人生の最大の買い物とも言われる不動産売買で権利を得たと証明できるのが登記をすることだと、普通一般的に考えられています。
そのため、講義に出てくる登記を介した法律上の問題点よりも、登記が適正・有効になされることの方が大事なことであるはずですが、講義等で法律を勉強していると法律上の問題点や理論のほうが大事であるように思えてきてしまいます。それは普段は教科書や参考書の事例にしか触れることはできず、実際に起こっている事件に触れることはできないこと、また、法律の勉強ではトラブルが起こることが前提であり、そのトラブルを解決することを勉強するといっても過言ではないことが主たる原因だと思います。

 このインターンシップを通じて、生の事件に触れることができたのはいい経験になり、今後の勉強をしていく上で大事なことは何か、ということを常に考えていきたいと思います。

 また、今勉強している民法、会社法、民事訴訟法を基礎とした研修内容が多々あったのですが、わからないことやあいまいなことが多くあり、勉強不足を痛感しました。今後はいろいろなことをふまえながら、勉強に励んでいきたいと思います。

 司法書士の仕事は登記関係・後見関係・訴訟関係の仕事と多岐にわたっており、それを大方見学させていただいたので、仕事の概要ではありますが、どのようなものか知ることが出来たと思います。
 私は法学部で勉強をしているにもかかわらず、登記所や裁判所に今まで行ったことはなかったのですが、付き添いで登記所の中を見ることや裁判の傍聴をすることができる機会を得て、教科書や参考書で知ることだけでは得られない実感を得ることが出来ました。やはり、身を以て体験することが一番だと改めて思い知らされました。

 そして、司法書士の先生方や事務員の方の仕事の内容や、また、体験したことについてのお話は1人で勉強をしているだけでは決して知ることができないものばかりでしたので、今後の将来の指針を考える上で大変参考になりました。
 このインターンシップで多くのことに気づくことや知ることができ、充実した期間を過ごすことが出来ました。

 インターンシップを受け入れていただき、誠にありがとうございました。


 まことに優等生の文章であります。当事務所でのインターンシップが、今後に役立てばと思います。

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さあ勉強しよう

インターンシップを通じての感想 その1

8月下旬から2週間、当事務所に明治大学3年生男子が、インターンシップにきておりました。インターンシップを迎えるのは、今年で4年目になります。その彼がブログに原稿を寄せてくれましたのでご紹介します。大作ですので、まずその1からどうぞ。

 私はアルバイトをしたことがなかったので今年のインターンシップはいわば初めてのお仕事ということになります。
 司法書士事務所のインターンシップが始まる前の一週間は地元の官公庁のインターンシップを受けてきて、そこでは主に仕事内容の説明や場所の見学、お手伝いといったものでした。

 今回のインターンシップは、大学で勉強していることと直結する仕事であったため、どのような事をやるのだろうか、と不安と期待を持って、スーツを着込み、事務所を訪ねました。
 まず、担当の先生から研修内容のガイダンスを受けて、さぁインターンシップ開始となりました。

 最初にやったことは登記情報の取得でした。とはいえ、全くやったことがなく初めてのことでしたのでどうしたらいいのかわからず、ただ言われるままに書類に書き込みをしましたが、今の時代は思った以上に便利になっていて、インターネットで見ることも印刷することもできることを知りました。結局私が書いたのはあまり意味をなさず、こちらは記念にもらいました。

 これを皮切りに、明治の生まれの人からの、私にとっては大昔の人から続く大量の戸籍の確認をしたり、個人情報が大量に記載されている資料を読ませていただいたり、パソコンをカタカタして登記申請関係等々の書類の作成を作成し、インターネットを使った、オンライン登記申請を実際にやらせてもらいました。仮想の会社の設立登記と訴状の試作をしてダメ出しをもらったりもしました。

 また、都庁や登記所等に行き見聞を深め、ことに司法書士の先生に同行して、大学生の私にとっては無縁の金額で取引される、不動産売買の決済に立ち会わせてもらった際は、イレギュラーなことが起こったりもして、緊張感を味わいました。
任意後見契約をしている方にお会いして、お話しを伺ったり、顧問先の会社に同行させていただくなど、いろいろと体験させて頂きました。

 特に本人訴訟の付き添いで行った地方裁判所の法廷の大きさは思いもよりませんでした。法廷といえば大きいものだろうと思いこんでいたのですが、全くの予想はずれでこぢんまりとしていて、入った瞬間に小さいと思うほど法廷と傍聴席の距離は短く、裁判官が思ったよりに近くに感じました。

 このインターンシップを通して、普段の勉強では得られないものを多く得ることができ、また、司法書士の先生方や事務職員方の仕事の内容や、昔語りは今後の私の将来を考える上で多くの材料を提供してくださったと思います。

 やはり、実際の体験は他の机に座っての勉強や講義を聴く以上の経験になることだと改めて思い知りました。 
  →その2につづく


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夏の終わりのひまわり君

「美しきアジアの玉手箱」

サントリー美術館に「美しきアジアの玉手箱」シアトル美術館所蔵、日本・東洋美術名品展を見に行ってきました。詳細は弐代目青い日記帳さんを参照下さい。
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1826
 展示は、遮光器土偶から始まって、根来塗あり、仏像絵画、焼き物から浮世絵まで、シアトル美術館が所蔵する日本および東洋美術コレクション(約7,000件)の中よりの選りすぐりの優品、約100件です。何か、ある日の東京国立博物館に行ったような感じ。ということは、それこそ美術館1館分の美術品が海を渡って行ったのですね。

 私がよいと思ったのは、狩野重信筆の「竹に芥子図」の屏風です。描きすぎない分垢抜けていて、画家の美意識が伺えます。画像はサントリー美術館ホームページからどうぞ http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/09vol04/program.html 
それに比して、シアトル美術館を代表する名品と書かれている「烏図(からすず)」屏風、いかがなものでしょう。確かに珍しいですが、凄みがあるわけでなく、洒脱ではなく、諧謔味も感じられず、今回の展覧会のチケットや図録の表紙にもなっていますが、わくわくしませんでした。

 今回の目的は、なんと言っても「鹿下絵和歌巻」本阿弥光悦書 俵屋宗達画 です。
いづつやさんが7/28付でおっしゃっているように、絶対この絵をメインに持ってくるべきです。http://izucul.cocolog-nifty.com/balance/2009/07/index.html
 俵屋宗達が「光悦先生、鹿のきれいな便箋できましたよ」と、嬉しそうに持ってきた料紙に、つい先程といって言い時間に、光悦その人が、筆を入れていったかのような生々しさを感じることができました。
俵屋宗達はもともとが職人さんだったからか、インテリが持つ懐疑心がなく、明快で肯定的。工夫はするけど考えすぎず、仕事が楽しそうで好きです。新しい時代を迎えた時の、伸びやかな空気が感じられます。

本阿弥光悦は、「芸術のことは自分に従う」人なので、うけることを勘定に入れていないから、何をどうしようと、けれん味がない。この書にしても、誰にでも表現できるものではないのだろうなあ。
(自分にもっと教養があれば、書かれている和歌を理解した上で、この書体で、このように散らし書きしたのは…、と、もっと堪能できたでありましょうに、残念)
ともかく幸せな時間が過ごせました。

この展示会は9月6日までですが、下記の日程で巡回するので、来春再度MOA美術館 に「鹿下絵和歌巻」を見に行きたいと思っています。
神戸市立博物館 2009年9月19日-12月6日      
山梨県立美術館 2009年12月23日-2010年2月28日 
MOA美術館 2010年3月13日-5月9日      
福岡市美術館 2010年5月23日-7月19日  

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